半年が経ちました。
お久しぶりです。
日記を大変おサボっている中で、一体なんだという話なのですが、それなりに変化があったり、少しづつ色々なことに対する出口が見えてきた(気がする)のでつらつらと書いていきます。
とても正直に、あまり普段書かないこともこっそりという気持ち。
(少し前の朝の風景。今住んでいるところの近所で、恵まれた立地ですと思いながら毎日歩いています。家賃には目を瞑りましょう)
生活の話
長く苦しい戦いでした。
...このネタは今でも通じるのでしょうか。
とはいえそれほど冗談でもなく、この国に辿り着いてから約半年ほど、自分の一個人としての感覚であったり耐久度を試すような日々で、常に何かの縁を歩いているような気持ちでした。
おかしいほど高い生活費を考えなければ、表面上は静かにつらつらと生きていくだけともいえます。冬は寒く、日も短いので、心身ともに厳しいかもと色々な人に言われましたが、個人的にはあまり問題にならず。幸い人にも恵まれているので、なんとなく生活が成り立ってしまいます。
そうすると、自分は一体何がしたいのか、という感覚と向き合うだけの日々が自ずと続くのですが、しかしまあ、日がな座って考えたところで答えなど出るはずもないので、とりあえず色々と行動をして見ることになります。
やってよかったと思ったり、思わなかったり、自分がうまくできないことを特等席で見るような行為を繰り返して、ぐりぐりじりじり進んだり、進まなかったり。
その一つ一つを列挙することはしないですが、元来シャイに足が生えたような人間の私にしては、きっと良くやりました。もちろん100%完璧ではなく、なんなら今日も語学学校を(それはもうとてもやむを得ず)サボったりしているわけですが、それでも、それでもです。
それはそれとして、少しだけ、トピックを絞って書いていきます。
(写真は3月に撮った、Reykjavíkで私が一番好きな美術館の庭にある彫刻。晴れていると大変素晴らしい)
仕事の話
人間が社会で生きていく上で、はっきりとした仕事をしていないと大変です。翻訳の仕事を継続的にしてはいたのですが、フルタイムというわけでもなく、基本はふらふらしていたので、度々返答に困るわけです。
入管でこいつはなんなんだ?という顔でIDのチェックをされる経験をこの半年で3度ほどしているのですが、その度にまざまな種類の冷や汗をかきました。
3月に数週間ほど国外に出ることが最初からわかっていたので、フルタイムで働くのはちょっと難しいなと思い、つまむようにバイトをしたりしていたのですが、それでは社会にとって完全な肩書きにはなり得ないようです。それが悪いと言うことは決してなく、そう言うもんだよな、という話なのですが。
4月の頭に再びこの寒い国に戻ってきて、そこからフルタイムの仕事を始めることができました。先日、銀行の口座を開設し、これはもう立派な大人ですね。間違いありません。
ホステルのようなところでの仕事なのですが、掃除なりの肉体労働的な部分が多く、そこがとても良いです。人によるのでしょうが、何かフィジカルなものがあると、生活に基礎が持てるように思います。気のせいかもしれません。
何よりも驚きなのが、フルタイムにもかかわらず一月の半分程度しか働きません(平均14日)。金銭的な意味でも、生活リズム/基盤的な意味でも、月のもう半分は「ふらふら」が出来るわけです。確かにこの仕事だけをしていたら、それはそれでおかしくなりそうなので、バランスを取れるところが良いですね。
今はこのもう半分で何をするか考えているところです。
が、二つだけ、時間を割きたいことが決まっています。
(3月は数週間ここにいたのですが、写真だけでわかるものでしょうか。寒い国とのギャップにくらくらしました。社会のあり方は多様です)
音楽と翻訳の話
まあそうでしょうね、と思いましたでしょうか。
音楽と翻訳だけは、なんとか人生を通して付き合っていけないかと考えています。
ずっとそう思っていたかというと、そうでもないのです。
音楽は特にですが、自分にとって「やめられないもの」だと思っていました。どういう気持ちになろうがどうせ作るし、誰が聞くかもよくわからん、みたいな。ある意味でとても後ろ向きで消極的です。
単純にシャイだ、という話かもしれませんが、今までは友人や知り合いに自分が曲を作っていることをあえて話すこともありませんでしたし、本当に限られた人たちが知っているのみでした(そしてその人たちにはとても感謝をしております。主に私の活動に対する応援/甘やかしに)。
しかし、最近になってようやく「自分は音楽を作ったりしています」と人に言えるようになりました。調子が良いと初対面の人でも、自分のSoundCloudのリンクを教えたりできます。目覚ましい進歩です。
何度か呟きもしましたが、まさか自分がすることになるとは思ってもみなかった、「ライブで自身の曲を演奏する」ということまで経験してしまい、もう一体どうしたのでしょう。
これは寒い国特有というか、そういう活動を許容する(認める、とは少し違うのです)土壌も関係しているのかもしれません。そういう意味で来てよかったと思いますし、居心地が良いのかもしれません。
4-5曲ほど、なんとか曲としてまとまったものが出来始めているので、なるべく早くどこかで公開したいです。
ついでに最近公開したデモも置いておきます。
写真は工場?の煙突から出る煙が、日差しで燃えているように見える、というやつ。
(2回目のライブが決まった時に撮影したオーロラ。私のへなちょこ携帯で撮影できるくらい、眩しくて巨大なやつでした)
翻訳とはもう少し穏やかな関係ですが、それでもせっかくここ数年ずっと続けてきたことなので、終わらせたくないなというところ。自分にとっての仕事になるかどうかはともかく、特定の分野なり表現にとにかく傾いた翻訳はAI全盛期の世界でも生き残っていくのだろうと、勝手に想像しています。
趣味としてやっていた歌詞の翻訳をどこかで再開させるところから、付き合い方を探っていこうかと思うのですが、しかし何かお仕事(日英)がある人は是非ご相談ください(大宣伝)。得意ジャンルはさておき、大体なんでもやります。
いずれにせよ、結局のところ、実際に専門として翻訳を勉強された方と同じことができるわけではないので、自身の興味と技術をもとに実験していきつつ。
(友人に片手だけ試し塗りをしていただいた写真。まあこれもありか、と自然に思えたことが、寒い国の雰囲気に飲まれて暮らしている証拠かもしれません)
この先の話
というタイトルをつけたものの、あまり決まっていることは無いのです。
無いのですが、しばらくこの国に居ようかなという思いは、もうちょっと範囲が広くなりました。機会があれば、全然別の国に移動するのもアリだなと、良い意味で自分の生活をどこにでも持っていける気がしてきたのです。
もとから、どこの国でも生活できるタイプではあるのです。
ただ、行くだけなら誰にでも出来るというか、そこまで難しくなく、やはり確立した自分を持ち込めるかどうか、というとこなのでしょう。
それが音楽とか翻訳とか(もしくは、ここではあまり触れていないアート関係とか)、そういう具体的なものなのか、それはまだわかりません。
諸々における普通とか期待に、人並みに縛られて生きてきたような気はするのですが、振り返れば結局は全然よくわからない人生を送ってきました(大なり小なり、人類皆そう感じるのだろうという気もしますが)。
なので、この先に向けて参考にするものがあまり無いのですが、それを楽しめるように、そしてまあ結局どうにかなるだろうという気持ちで生きていけるように、毎日過ごしていきます。
ます、で文章が終わってしまった。おしまい。